親の老後なんて、私は知らない

昔から、私の両親と付き合いのある方――仮にAさんとします――と、お会いする機会がありました。Aさんとの会話をしていく中で、両親の老後についての話題に。私自身、両親の老後を見ようなんて思っていません。しかし、世間は私のこうした思いを良しとしないでしょう。実際、Aさんに言われました。「ここまで育ててきてくれたんだから」と。「親の老後を見るのは当たり前」と暗に言われたのです。

 

昔、「あんたは何を考えているか分からないから、これから先一緒に暮らしたくない。面倒も見たくない」と、母親から言われたことがあります。確か、中学生になるかならないかの頃だったと思います。自分一人で生きていくことの出来ない子どもの私に、冷たく言い放たれた言葉。その言葉は、私の心を深く抉りました。どういう思いで、母親がこの言葉を言ったのか分かりません。母親にとって何てことのない一言だったとしても、子どもだった私にとって衝撃的で忘れられない一言となりました。この時は、母親との関係を辛いと思ってはいけない、と思っていた時期。そのため、私のどこがいけなかったのだろう……と必死に考えていました。十年以上経った今でも、あの時に痛んだ心の痛みを鮮明に思い出します。そして、この言葉を覚えているからこそ、親の――特に母親の老後を見ようなんて思わないのです。

 

母親だけではなく、父親の老後も見たくないのは、父親の存在が空気だからです。自分のことしか考えず、自分にとって都合の悪いことは全て受け入れてこなかった父親も、私にとって毒です。母親の理不尽な態度や過干渉から守って欲しかった時、父親は母親の態度を諫めるのではなく、逆に私を叱ったり、あるいは見て見ぬ振りをしたり。何故私が怒られなければならないのか、何故私から目を背けるのか、と納得いかなかったり悲しかったりした日々を思い出します。

 

老後に私を頼ってくることがないよう、両親から逃げなければならない。あらゆる理由を挙げ連ねては、私を家に縛り付けていた母親。働き始めてから、老後要員として私を縛り付けているのだと悟るようになりました。年齢を重ねていく両親を見ていて、本気で逃げることを視野にいれなければ、と思うようになり、まずは家を出ることにしたのです。